自分の死とどう向き合うか
患者さんの死を目の当たりにすると「自分も死ぬのではないか」と思う瞬間があります。
前回記事の最後に書きましたが、自分のがん経験を患者さんに投影して、感情移入してしまう瞬間があります。それは医師としての理性と個人としての感情にズレが生じている状態で、かなり苦しいものです。正直に書くと「もう、やってられない」と思ってしまうこともあります。
前回の「患者の死とどう向き合うか」を受けて、今回は「自分の死とどう向き合うか」について次の観点から書いていきます。
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私自身が罹患したがんについて
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私が尊敬する患者
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死を意識して準備したリビングウィル
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患者さんとの接し方はどう変わったか
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私自身のがんについて
初めてがんと診断されたのは、43歳とき。「どうして私なのか」と現実を受け入れることができませんでした。普段、患者さんには「希望を持ちましょう」と言っていましたが、自分が患者になると希望どころか受け入れることすらできませんでした。
家でシャワーを浴びているときに、太もものしこりに気がついたことが発見のきっかけでした。病名は悪性線維性組織球腫。5年生存率が50%で、とても珍しいがんでした。
MDS(骨髄異形成症候群)の診断を受けたのは、今から9年前で49歳のとき。こちらは血液がんの一種で、正常な血液細胞が減少するがんで白血病の前段階とも言われています。
元々、血小板の値が低かったので、MDS(骨髄異形成症候群)になるかもしれないと思っていたら、診断がついてしまいました。症状は悪化の一途を辿り、貧血が続き、毎週輸血が必要になることは診療データから明らかでした。
私の場合、完治を目指すなら骨髄移植が必要でした。しかし、移植後は数ヶ月以内に死にいたる確率が15%、1年以内で30%と言われました。みなさんがこの数字をどう捉えるかは分かりませんが、私はとても高いと考えました。妻はそんなに高くないと励ましてくれましたし、患者さんが相手なら私も妻と同じように患者を励ましたと思います。しかし、いざ自分の身に起きる確率となった途端に、とてもリスクが高いものだと感じられました。
不安を解消するために、さまざまな専門医に話を聞きにいきました。「移植すべきか」という私の質問に専門家はそれぞれ違う回答をするのです。誰かが強く移植の背中を押してくれることを期待していましたが、誰もそうしてくれませんでした。
その経験を通して気がついたのは「自分がどう生きたいのか」という人生観に沿う形で、最後は自分で治療を決定する必要があるということです。
私の場合は「活発に仕事をしながら、楽しく人生を過ごしたい」が自分の人生において大切にしたい価値なのだという考えにいたりました。この人生観が決まったことで、霧が晴れたように治療が前に進みました。活発に行動するためには完治を目指す必要がありますので、移植を受ける決断をすることができました。